2008年9月9日火曜日

にりんしゃ

おはようさんです。
カレーネタがあったが、ここはあえて別のネタで行こうと思った。

私が今乗っている愛車はホンダの400ccの二輪車で、去年のGWからの付き合いだ。出会いは運命的なものを感じた。見つけてから2日で確か購入を決めたと思う。いい買い物だったと思うし、今も愛着はある。たぶん間違いなく。
だが今日はあえて昔を振り返ろうと思う。ほおっておくと忘れてしまいそうだからだ。チラシの裏に書くべきだと思いつつ、今日もダラダラ書いてみることにする。

高校の卒業前で進路についてすべて終わった頃、自動車学校に高校からの紹介(?)で入れることを知り、身分証明書がわりに取ってしまおうと思い、普通自動車免許を取るため自動車学校に通うことにした。今から思えばこの時に免許を取っておいてよかったと思う。対外的には真面目に見えるため自動車学校ではすんなり免許を取ることができた。免許を取った後は父親に自動車の運転の特訓のようなものがあったが、そのせいか車には興味が薄かった(先立つものもなかったのも理由だ)。

しばらくして、自宅にあった原付スクーターに乗るようになった。それがホンダのイブ パックス(黄)だ。
この黄色い方だ。うむ、パックスSに比べて黄色い方がデザインとしてまとまっている。今更ながらスペックを見て、スポーティではなかったことを思い出す。まあそれでも我が人生に二輪車というきっかけを与えてくれたことは間違いない。黄色いヘルメットを選びたくなる癖がついたのもおそらくこの黄色のおかげだろう。
パックスは友達とか平和という意味らしい。これに乗って誰かと出かけたことはないし、平和的な使い方は・・・どうだろうw。重量級の私がまたがると嫌そうに発進したものだ。当時はほかのマシンを知らないのでそんなもんだと思っていたが、今思い出せばかなり無理をしていたんだなと思う。どのくらい乗ったか覚えていないが、それでも5000kmは乗ってるとは思う。

次に乗ったのは、ヤマハのジョグ(黒)だ。これも家で購入したもので、Aprioではなかったと思う。メットインはあったので、3代目以降なのだろう。走りはイブとは違ってかなりスポーティだった。知多半島を初めて一周したのも確かこいつだと思う。雨の日にこけて傷だらけにしたのは私です。

次に乗ったのは、ヤマハのジョグポシェ(緑)だ。あまりにもジョグ(黒)に私が乗るので親が見かねて購入してくれたものだ。ジョグポシェはリリースによれば主婦向けにマイルドな走行特性らしいが、少なくとも我が家にきたポシェはそんなことはなかった。リミッターが壊れていたのか、かなりスピードは出た(50ccのスクーターなのでたいしたことはないが)。ジョグと比べるとハンドルが高く、かなり乗りやすかった。荷物も載せやすかった。こいつで岐阜市まで行ったり岡崎まで行ったりした。今思えばアホな行動である。ある日組み立てPCのケースを背負って持ち帰った翌朝、オイルを漏らしていた。たしか直しても何度かオイルが漏れていたと思うので、ただでさえ重量級の私と重いケースのため、フレームを曲げてしまったのではないかと思っている。合掌。

次に乗ったのは、ホンダのベンリィCL50(赤)。ここから赤男爵との付き合いが始まる。それまで2ストのスクーターだったのに対し、こいつは4スト。同じ排気量でもパワーが違う。本当に遅かった(イブ程ではなかったが)。しかし長いこと楽しめるやつだった。カブと同じエンジンのためか燃費は大変よく、少量のガソリンタンクでもかなり走ることができた。当時部活の合宿で岐阜県の山(今は多分下呂市)まで行ったが、何とか乗り切ることができた。国道41号線は結構怖かったが、行きはかなり楽しめたと思う。帰りは警察屋さんに切符切られてかなりブルーだったのはいい思い出だ。最期はくしゃみ(多分花粉症)をしているうちに車に突っ込んで、フレームをやってしまって廃車にしてしまった。自動二輪の免許を取るきっかけにはなったが、乗り潰すことはできなかった。合掌。

上記の事故をきっかけに家にあったジョグ(黒)に乗り、自動二輪免許のため自動車学校に通う。最初の2時間はリターン式のギアに迷ったが、しばらくすると慣れた。二輪の教習は厳しい方がいいとこの時思った。スクーターが多かったとはいえ、二輪車慣れしていたせいか、一度も落とすことなく免許は取得。あとは試験場で発行してもらうだけになる。

そんなときに、免許を取る前なのに赤男爵で見つけたのがカワサキのスーパーシェルパだ。店員にはあと試験場で免許証を受け取るだけと伝えていたが、購入するときに取得前に乗らないように念押しされた。そこはちゃんと守った。サイトのは幾度かのモデルチェンジの後のデザインなので自分が乗っていたものとデザインは異なる。確か白基調に金のラインが入っていたと思う。二輪の免許を取って最初のマシンをカワサキにしたことは後悔したが、今思えばよかったとも思う。カワサキであるこということを除けばシェルパは初心者にはいいマシンだったと思う(だったらヤマハのセローの方がいいかw)。またがれば大抵の人は脚は付くし、低回転でもトルクがあってギアはつなげやすい。重量級の私は言うまでもない。250ccの空冷単気筒で、速く走るよりもトコトコ走るという感覚が似合った。惜しむらくはタコメーターがないため、エンジンをどこまでぶん回していいのかわからなかったことだ。かなり無茶をしたせいか、よくオイル漏れを起こした。可哀そうなことをしたと思いつつも、下手な運転によくついてきてくれたと思う。タコメーターはなかったが、おかげで耳で回転数の度合いを判断する訓練にはなった。原付と違い、高速道路にも乗れるため、この辺りから日帰りでもかなり遠くまで行くようになった(といっても東海3県と静岡と奈良に行ったくらい)。最期はなにかの調子が悪くなったのをきっかけに次のに乗り換えたと思ったが、理由が思い出せない。事故って通院する必要があるくらいの怪我をしたこともあったが、やはりこいつとの思い出も大切にしたい。

今日はここまで。続きはまた今度。

おやすみレンコン。