2017年6月21日水曜日

史実と創作がごっちゃになってない? 私はなっていました。

おはようさんです。

自分が考察にうるさい方だという自覚はある。しかし、このツイートを見てなんとなく我慢できなくなったので、久方ぶりにブログ投稿にしてみることにした。
上のツイートにある『キチガイ系の学者』がどんな攻撃をしたのかは知らないのだけど、事実と異なる創作を信じ込んでしまう読者がたくさんいることは、学者としては憂慮しても不思議ではないことと思う。
自分は幼い頃、NHKの大河ドラマというのは考証をしてそれなりに確からしいことをドラマに仕立てたものだと思っていた。複数のドラマで秀吉がサルと称されていることから、それは史実だったのだろうと思っていたのだけど、実際信長からサルと呼ばれた記録はないっぽい(悪魔の証明だから断定はしない)ことを知った時は、それなりにショックだった。ドラマとしてエンターテインメント性や視聴者から愛されるキャラ付けとして演出なのだろうということを12歳になるころまで理解していなかった。

ということは皆が思う織田信長を始めとする三英傑の性格も後世の後付で、人気が出たからそういうキャラ付けになったと考えると、なんだかもやっとしてくる。
例えば面接等で「尊敬する偉人は誰か?」という問いに、実在しない人物を挙げると失笑をかうことになる気がする。しかし、実在する人物を挙げた場合、その実在する人物の人物像が後世の後付だったのだとすれば、実在しない人物を挙げることと何の違いがあるのかわからなくなってしまう。

ホトトギスで
・鳴かぬなら殺してしまえほととぎす
・鳴かぬなら鳴かせてみせようほととぎす
・鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす
という有名な詩があるが、これも後世の創作らしい。
でもそれが事実だと思ってこういう記事を書いている人もいる。

残忍と言われていた織田信長の性格は違う一面もあった
http://history.monovtube.com/entry9.html
有名な一文で性格が分かる
織田信長の性格を知る有名な一文があります。それが、「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」というもの。
戦国時代の中心人物であった、豊臣秀吉は「鳴かせてみよう」と表現し、徳川家康は「鳴くまでまとう」という性格を持っていたとされますから、織田信長は短気で荒々しい性格を持っていたことが分かりますね。

まあ結局のところ、私も元ソースを確認する気力もないし、多くの方が連綿だらけの達筆な行書や草書で書かれた古文書など確認などしないと思うので、私も元ソースを確認をする努力を怠らせていただきます。気になった方は図書館なりで調べて下さい。

いいこと言ってる気がする。

まあこの件とちょっと違うかもしれないけど、事実として語られている虚実は世の中に多くあるのかもしれない。いい話だから教育上好ましいから創作だけど事実として語りたいという気持ち、この歴史上の人物のセリフやエピソードは面白いから史実としてしまおうという気持ちを否定するつもりはない。
でもなんかそういうのって気持ち悪くないだろうか、と思ってしまう私もいる。

なお、私の好きなマンガに「陸奥圓明流外伝 修羅の刻」という作品がある。これは本編が別にある外伝であるが、歴史上の出来事に本編の主人公の祖先がどのように関わってきたのかを作者が「こうだったらいいなあ」という視点で描かれた作品。当然この作品には歴史からすれば主人公の祖先という荒唐無稽な部分はあるが、それを知っているから楽しめる作品であると思う。正直それ以外の部分が史実を元にしているのかどうかわからないが、作者の想像の部分も大きいのだろうとは思われる。

修羅の刻(1) (講談社コミックス月刊マガジン) 川原 正敏http://amzn.asia/3nRBi2X

ではこういった創作物における史実との違いが生じてしまうことについて、どこが落とし所になるのかは難しい問題と思う。

というわけで学者さんや学校の先生方、がんばってください(他力本願)。


おやすみレンコン。